腰椎椎間板ヘルニア入院手術しました(2) スタッフ  小布山 理央

人生初の入院、その日はこれまで予想してなかっただけにそれはいきなり訪れました。

医師の診察後、即入院が決まり、痛み止めの注射を殿部に打たれて一応冷や汗は止まったものの、いわゆる気をつけの姿勢がとれず、歩行器を借りて移動していました。

次の日の夜、MRI画像を見ながら医師から手術の説明がありました。「かなり大きくヘルニアが出てますね。それから第2波みたいなのも出てるし。うちでは内視鏡を使ってやれる人は傷は小さくてすむけど、あなたはヘルニアの場所が骨に隠れて見にくいので通常の手術でやりますね。」とのこと。そんな大変なことなのと思いながら聞いていました。内心ドキドキです。

翌日、朝から早速手術です。朝食は抜きで、タンカにのせられ手術室へ向かいます。もう心臓バクバクでした。手術室のドアを入ると、いかにも手術しますよという格好をした医師の先生、看護師の方々がおられました。私はタンカの上であおむけだったので、あのテレビでよく見る手術室の天井が見えました。ドラマみたいと思いながら。早速麻酔のマスクをあてられますが、密閉するわけでもなくこれで大丈夫?と思いましたが、数秒後には完全に落ちていました。

次に気づいたのは約1時間半の手術が終わって、またタンカに乗せられ手術室を出ようとするころでした。医師の先生から「もう終わったよ」とポンポンと肩をたたかれ、それで何となくですが、ああ終わったんだと思いました。それとともに手術前までほんとにどうすることもできなかった足の痛みがなくなっていました。これには驚きました。でもまだ麻酔から完全に覚めたわけではなく、体中管だらけでしたので動くことができませんでした。

その後、個室に移され、点滴などたくさんの管につながれました。トイレも行けないのでカテーテル挿入です。看護師さんからしばらくしたら熱がでてきますからと言われていました、全くその通り、熱が38度くらいになってどんどんぼーっとしていったことを覚えています。

寝返りも打てないので、数時間ごとに看護師さんに体の角度をかえてもらい、たまった尿をかえてもらうという時間が1日半くらいありました。

そのあとは、相部屋の病室に移されましたがしばらくは食欲もなかったと思います。しかし、病院側は療養計画があるのでしょう、多少具合が悪くてもリハビリの開始です。まず、背中に入っている血抜きの管を抜き(これがめちゃくちゃ痛い)、立つ練習の開始です。

このあと数日間の激動のリハビリは次回お知らせします。

投稿者プロフィール

江畑  博之
江畑  博之
昭和56年新潟県燕市生まれ。平成14年新潟大学工学部化学システム工学科へ入学。卒業後、平成18年東北大学法科大学院入学する。司法試験に合格後は最高裁判所司法研修所へ入所し弁護士登録後、当事務所へ入所する。交通事故被害者が適切な賠償額を得られるよう日々、尽力している。
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昭和56年新潟県燕市生まれ。平成14年新潟大学工学部化学システム工学科へ入学。卒業後、平成18年東北大学法科大学院入学する。司法試験に合格後は最高裁判所司法研修所へ入所し弁護士登録後、当事務所へ入所する。交通事故被害者が適切な賠償額を得られるよう日々、尽力している。
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